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中野不動尊スペシャルコンテンツ「境内散策」ページは、美しい写真と臨場感あふれる音や音声ガイドをお楽しみいただけます。”見る、聞く、歩む。”いざ、中野不動尊へ。
地下より湧き出ている清水で「こと姫」伝説があります。むかしよりとぎれることなく旅人や参詣者ののどを潤しつづけている湧き水です。とげぬき地蔵さまに清水をかけて お参りください。
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とげぬき」というのは人間の五慾・三毒・四苦・三障を取り除くことを言い、「サワリのとげをぬく」ことから足にサワリあれば地蔵尊の足を、腰にサワリあれば腰をたわしでこする習わしがあります。 痛いところや悪いところがあればたわしでこすって清水をかけてお参りください。
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奥の院の洞窟から湧き出る清水です。 水温はおよそ13.5度、ミネラルに富む飲料水です。 とげぬき地蔵尊に手向ければ三毒が取り除かれ、飲用すれば活気が出ると言われる霊水です。
総ステンレスで造られためずらしい建物で、古いお札やお守り、しめ飾りや松飾りなどを納めるお堂です。 よその神社仏閣のお札やお守りでも納めることができます。随時ご供養してお炊き上げ申し上げます。 またこのお堂中央には毘沙門天が祀られており、開運、心願成就、勝運、合格祈願を願うお堂となっています。
大日堂は奥の院にそびえる三層の朱色の建物で、昭和五四年に開山八○○年を記念して建てられました。お 祀りされているのは大日如来で、二○年ごとに御開帳されます。脇立に不動明王と愛染明王が並び、大間両側には三万巻の般若心経が納められています。 また下層入口は「顕霊門」と呼ばれ、《洞窟めぐり》の入口となっています。
大日堂より奥につづく洞窟とその東側の崖から流れ落ちる不動滝周辺が奥の院です。 今からおよそ八三○余年前の治承三年に、恵明道人が梵天をくわえた一匹の羚羊に導かれてはじめてこの地を訪れ、お告げにより、洞窟の中に三ヶ月不 動明王を祀り、九字の聖火が灯されたのが当山のはじまりです。
当山で最も古い信仰の地で、恵明道人が1匹の羚羊に導かれて入った滝でもあります。 やがて修験者などにより雨露をしのぐ洞窟が穿たれ、不動明王が祀られ、聖域が整えられてきました。 毎年2月28日を中心に開催される春を呼ぶ祭り「歳祭り」では、梵天をかかえた修行者がこの不動滝にうたれて身心を浄める「水行」が行なわれます。
奥の院「洞窟めぐり」の出入口のひとつで、洞窟の最東端に位置する唐風重層の門です。 入って右側には札受所があり、初詣や歳祭りに開けられます。7月中旬には「夏のお茶会」が催され、滝しぶきの涼やかな緑陰のもと、お抹茶が振る舞われます。
水芭蕉池とも呼ばれるこの池は、タニシが生息しており、不動明王の「お使い」として大事にされています。 むかし祈祷殿が火災に遭って全焼したとき、無数のタニシが本尊さまを守ったといわれ、そのことから「たにしヶ池」と呼ばれています。春、三月中旬頃から水芭蕉の白い花が美しく咲きはじめます。
むかし弘安六年ごろ、この地方に疫病が流行しました。住職は不動明王のお示しによって大釜で薬草を煎じ、牛車に積んで病人に与えたところ、たちまち治り人々は安堵しました。 それから誰言うことなく「あんど釜」といわれるようになったとのことです。
本来、宝筐印塔はお経を納めた塔で、五輪塔は舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたと言われていますが、のちに日本ではどちらも供養塔や墓塔として建てられるようになりました。当山にあるものは平成22年に中華民国(台湾)の高芳眞氏が仏法興隆・世界平和・諸縁吉祥を願い世界108ヶ所に寄贈奉納されたものの1つです。石材は「青斗石」といい、台湾では廟の建材として用いられています。石塔の高さは5.3メートル、重さは15トンあります。
当山は治承三年の開創ですが、明治初期ごろに明治維新による修験道弾圧がもとで不滅の聖火も消えようとしていました。しかし山を守ろうと信徒達により本堂が建てられ、明治三六年に大本山永平寺六四世森田悟由禅師を勧請して開山されたのが「曹洞宗中野山大正寺」です。それまでの修験道から曹洞宗に改宗されたもので、御本尊は御深草天皇の持仏とされていた「厄除不動明王」で、勅願仏ともいわれる尊い仏像です。
本店と西店があり、参拝者の無料の休憩所となっています。中野不動尊直営で、いつでも薬草茶の《十貴茶》をふるまっておりますので、是非お召し上がりください。軽食のメニューも各種あり、地元のおいしい漬物や菓子などの他、オリジナルのおみやげ品も取り揃えております。